1.森の住人 【 樹の王 】
テオは道なき道を進み、深く閉ざされた森の中心部へと向かっていた。 森は東西南北500kmはある大きな森で、それまで数多くの研究者が行方不明になっているほどであった。 「ふう。」 この森に入って既に七日が過ぎていた。 「この辺なんだけどな。」 この森には主がいる。 古代よりここに封印されている神がその主だと言い伝えられている。 強力な力を持つがゆえに人に疎まれ、無実の罪で何千年もの間磔にされたそうだ。 その彼の魔力を湛えた肉は陸地に、血は海や河になって陸を隔て、現在の世界ができたのだという。 「・・・なのにかわいそうだよな。」 今では彼は悪の象徴、邪神とされてしまっている。 海の向こうから来た異国人が自分の信じる神を広めやすくするために土着の神を邪神としたのだ。 異国の神はすっかり根付き、どんなに小さな村にも神殿が作られるほどだ。 「うわ!!・・・・・いてて。」 考え事をしながら鬱蒼とした森を掻き分けていたテオは、木の根に躓き、その場に転んだ。 「!!」 あたりを見渡すとそこにはテオの求めていた風景が広がっていた。 『円形に開けた場所に、周囲の木から枝葉が伸び、アーケードのようになっていて、その中心には巨大な樹がそびえ立つ。 幹の太さは周りの木を十数本合わせたものよりも太く、根も力強く張っている。』 テオは急いで鞄から出したノートを読み返した。 何年も前から数え切れないほど読み返した部分だった。 「・・・・やった! ついにみつけたぞ!!」 念願をかなえる瞬間がついにやってきたのだ。 テオはすばやく立ち上がり、大樹に駆け寄った。 『幹には磔にされた肉体が蔓で取り込まれている。』 ノートに従ってそれらしきところを探す。 何千年もの間に、磔にされた神は半身の肉体が朽ちていったが、もう半身はそのまま残り、樹に取り込まれていったのだ。 「あった!」 大きな鼻が見当たった。 ぴんと立った耳、目は閉じられているが、犬神とも呼ばれた神はその肉体をまだ残していた。 端正な顔立ちで、長身の美丈夫というのもノートの記録通りである。 「・・・・。」 テオは暫く見とれてしまった。 自分も同じ犬人種だが、とてもじゃないが適わない。 いや、今まで見た者の中でダントツといえるだろう。 風が吹いた。 まもなく日が傾き、夜が来る。 テオは、はっと気がついたようにして次の準備に取り掛かった。 ここからは命をかけた仕事になる。 なんとしても夜が来る前に済まさなければならなかった。 「わが言葉を持って命ず、汝の縛を解き給え。」 テオは大樹の前に石灰で描いた円の中に立ち、一言一句間違えないように慎重に言う。 日が傾きかけていて、だんだんと風も強くなってきた。 「わが血を持って命ず、神よわが願いを聞きたまえ。」 白い器にテオは指を切って血をたらした。 ―すると、目の前の大樹の蔓が呪縛を解き、神の肉体をどさっと木の根元におとした。 テオはすぐさま神の体を抱きかかえると、その体に、その口に自らの指を差し入れた。 「わが血をもって蘇れ。」 指先からわずかに血がたれたかと思うと、次の瞬間には神の体から黒いもやが出てきて、二人の体を包み込んでしまった。 「・・・なっ! 失敗した!?」 テオは自らの目的のために神を蘇らせる儀式をしていたが、どうやら失敗してしまったようだった。 『蘇生は日の元で行うべし、月の元にて行ってはならない。』 ノートの注意書き通りに儀式を進めていたはずだったが、いつの間にか夜を迎えてしまっていたらしい。 テオは黒いもやの中、ただ呆然と神を抱きかかえたまま座りつくしかなかった。 ノートの続きにはこう書かれていたのだ。 『成功すれば蘇生者は意のままとなるが、失敗すれば蘇生者の意のままとなる。』 テオはこのままでいると、この神の言いなりとなってしまう運命なのだ。 覚悟を決め、ナイフで神を殺そうとした瞬間、持っていたナイフはテオの後方にすっ飛んでいった。 「よお。」 神が目覚めてしまったのだ。 テオはもう固まってしまった。 一度息を吹き返してしまえば、一般人が神を殺せるわけがない。 テオのひざの上でテオをずっと見返してくる。 片目で。 「どどど、どう、も。」 歯がガタガタいう。うまく言葉が繋げられない。 「ふん。」 神はどもっているテオの返事にそう返して、そっぽを向き、辺りをキョロキョロしている。 「俺生き返ったのか。」 「は、はい!」 たぶん独り言だったのだろうが、テオはそう叫んで返事をした。 返事の途中で神はむくっと起き上がり、テオと視線を合わせていった。 「今、夜ってコトはお前は俺のいいなりか。」 半身しかない顔でにっと笑った。 テオは認めるしかなかった。 「・・・はい。」 もう泣きそうな顔をしていたテオは落ち込んでそう告げた。 「僕は、あなた様の下僕です。」 「名はなんと言う?」 名前を告げればもう言い逃れはできない。 誤魔化したとしてもすぐに見抜くだろう、そのぐらいテオはビンビンと神から魔力を感じている。 「・・・テオです。 ・・バン=テオです。」 「テオ・・・テオか、ほう、いい名だな。 わが名はガシューという。」 テオは驚いた。 一生を縛る契約で、神の立場なら自ら名乗る必要などないのだ。 名乗る場合は対等の関係を望む場合のみである。 「? どうした? ほら、言ってみろ。 ガシューだ。」 「ガ、ガシュー・・・様。」 「ガは一つだけだ。 様はいらない。」 「ガシュー。」 「そう。」 テオはもう予想外のことが多すぎて疲れきってしまった。 早く家に帰って七日ぶりにふかふかの布団で眠りたいと思っている。 「ふとん?」 テオの頭を読んだのだろう、ぽつっとガシューが言った。 「あ、あの、疲れたんで帰って寝たいなー・・・なんて。」 ガシューは合点がいったというようにうなずいて、言った。 「そうだな、初夜が野外だなんてマニアックすぎる。」 「・・・・・・・・・・・へ!?」 「テオが気に入った。 俺の嫁になれ。」 「!!」 テオはもう何もかもがいやになった。 「僕、男ですけど!!」 このままではいけないと思ったテオは精一杯反論した。 「そりゃそうだ。 男に見える。」 「じゃあ何でそんな冗談・・・・。」 「冗談じゃないさ。」 飄々とかわされるにもかかわらず、立ち向かう。 「じゃあ、なぜ?」 「―俺はな、膝枕っていうのをしてもらったことがなかった。 一人ぼっちだったからな。 だから嬉しかったし、一目惚れしたんだよ。」 テオにも聞いたことがある。 封印された神は強力な魔力のために疎まれていたことや、数々の逸話を。 「だって、生きてたときは誰も俺に触ってすらくれなかったんだぞ?」 テオの気持ちをどう考えたのか、ガシューはそう付け足した。さびしい顔をしている。 「一度も?」 「一度も。 こんなに温かいのかって思った。」 「・・・。」 抱きかかえたときガシューの体は冷たかったとテオは思った。 「・・・嫌なら断ってもいいぞ。」 「へ?」 「俺だって無理強いしてまで一緒にいてもらうのは申し訳ないと思う。」 「だって・・・。」 「・・・一人は慣れてる。」 この優しい人は僕の気持ちを大事にしている、と思ったら、テオの口はもう勝手に動いていた。 「一人にはしない、蘇らせたのは僕だ。飽きるほどそばにいるよ。」 テオは泣いていた。 |